正月三ヶ日の行事

初詣。

昔、大晦日の日暮れから元日一にかけての新年の第一夜は、人々は自分の家や氏神様の社にこもって年神を迎える「年ごもり(おこもり)」をするのがならわしでした。

しかし次第に、その年の年神がやって来る方角(恵方)にある神社や寺にお参りをするようになりました。

歳徳神(さいとくしん=としがみさま)は恵方神(えほうしん)とも呼ばれて、年によって異なった方向に宿るとされ、その方向を恵方、自分の住んでいる所から見て恵方にある神社仏閣に参る事を恵方詣(えほうまいり)といいます。

初詣では古くは年籠り(としごもり)と言って祈願のため大晦日の夜から朝にかけて氏神様の社にこもる、お篭り(おこもり)が習わしでした。

やがて、この年籠りは除夜詣でと元旦詣での二つに別れ、初詣での原型となりました。

今も除夜に詣でた後、家に帰り、元旦にもう一度詣でる土地があるそうです。

現在は、大晦日の深夜から神社や寺に出かけ、除夜の鐘を聞きながら新年を迎える、かつての除夜詣と元日詣を一度にすませるようになりました。

賽銭は、昔、自分の魂を象徴するものとして石などを神社に奉納したのですが、いつしか、円い貨幣を魂をかたどったものとして納めるようになったのが始まりと言われています。

柏手は、手を打って「パンパン」と音を響かせることによって、神様の意識を自分のほうに向けてもらおうとする霊振りの儀式です。

二度お辞儀をし、二度柏手を打ち、一度お辞儀をする「二拝二拍手一拝」が普通行われます。

お年玉。

現在のお年玉は、新年に親や親戚の大人が子どもにお金を与えることが一般的ですが、もとは、分家した者が新年に両親を訪ね、健康を祝福して餅を贈るならわしでした。

この餅を神様がくださったものとし、正月にめいめいが食べる習わしだったようです。

年の初めに贈り物をしあう習慣は古くからあり、室町時代には金子、筆、硯、紙、酒、餅などの品物が送られ、これらをお年玉と読んでいました。

それが次第に、親や親戚の人が、子どものすこやかな成長を願い、円い形の餅を配るのが習慣となっていきました。

その後、おそらく江戸時代に、商家の主人が小僧や丁稚に金銭を与えたことが始まりで、のし袋に金を入れて親が子どもへ、また、目上の人が目下の者へ渡すことがならわしとなったのでしょう。

お年玉はぽち袋などと言われる小さいのし袋に入れ、子どもの名前を書いて渡します。

お金ではなく品物でもかまわず、昔は、男の子ならば凧や毯杖(馬に乗ってまり打ちをする遊びのためのステッキ)、女の子なら羽子板や紅箱(口紅を入れる箱)などを贈ることが多かったようです。

初夢。

新年になって初めて見る夢を初夢と言い、初夢でその年の運勢を占うならわしがありました。

夢は神仏のしるしであると信じていたため夢見を気にしたり、夢によって吉凶を判断しました。<./p>

そのため年の初めに見る夢を重視しました。

いつ見る夢を、初夢とするかについては、いろいろな説があります。

古くは節分の夜から立春の朝にかけて見る夢とされました。

江戸時代のころからは、大晦日から元旦にかけて見る夢となったのですが、実際にはその夜は寝ずにおこもりをして年神祭りを行うため、元日から二日の夜の夢が初夢とされるようになりました。

最も縁起のよい夢は「一富士二鷹三茄子」と言われます。

その理由にも諸説ありますが、もっともと思われる理由は、どれも高いものづくしだということです。

富士は日本で一番高い山、鷹は愛鷹(足高)山のタカを語呂合わせしたもの、茄子は元禄時代のころには非常に高値だったことから、というものです。

また、縁起のよい初夢を見る方法として、丸に宝という字を書いた帆を揚げた宝船の絵を枕の下に入れて寝ることが、室町時代には将軍から一般庶民にまで、流行するようになりました。

この宝船の絵は、初詣のときに神社やお寺からもらってくるほかに、江戸時代には、元日に「おたから、おたから」と呼びながら、版画を売り歩く宝船売りからも買い求めたものでした。

仕事始め。

日本では普通、会社や役所などは正月一日から三日までが新年の休みで、四日から仕事を始めるのが慣例となっています。

しかし、もともと正月の儀礼は元日の一日だけでした。

仕事を休んで年神祭りを行うハレ(晴)の日は大晦日から元日までで、二日から平常のケ(褻)に戻るというわけです。

江戸時代になると、領主によって休みが厳しく定められるようになり、正月、盆、祭礼だけは休めましたので、次第に三日間を休みとするようになりました。

それで、正月三が日という慣習ができて、四日を仕事始めとするようになったのです。

平常め生活に戻る前に、農村では 鍬始め」、山村では「初山入り」、漁村では「舟祝い」、商店においては「初荷」「帳綴じ」、温泉や浴場で「湯始め」「初湯」、女性は「績み始め(うみはじめ)」「縫い始め」、児童は「書き初め」など、仕事始めの儀礼が行われていました。

消防の「出初式」などもその一つです。

鍬始め。

「鍬始め」は「鋤始め」「田打ち正月」とも言われ、農作業が年中行事のもととなっている日本では最も重要な仕事始めの儀式で、多くの地方で二日か三日、または十一日に行われます。

長崎県壱岐や鹿児島県では家長が鍬をかついで田(畑)に行き、三回ぐらい鍬で耕してから、その穴でもみがらを燃やす虫焼きという儀式をします。

その穴に松や竹を立て、注連縄を張るところもあります。

また、島根県では鍬で土を起こしながら、「一鍬千石、二鍬万石、三鍬数知れず」と唱え、田の神様にお神酒や餅を供えて豊作を祈ります。

そのほかにも、堆肥の引き初め、牛の使い始め、縄のない始めなど、いろいろな農作業を始める儀式がありました。

初出入り。

山村では「初山入り」と言っで、家長が山に入って山の神様にお神酒と餅を供えたり、山の神の使者とされるカラスにお供えを食べさせてから、まきを一束ほど切り取ってきます。

「初山踏み」「山初め」「木伐り初め」などとも呼ばれます。

舟祝い。

漁師が鯛や鶴亀の模様を染め抜いた万祝着を着て、船上に祭った船霊様にお神酒や餅をお供えし、大漁旗を立てて湾や村の領海を一回りします。

績み始め・縫い始め。

木綿が普及する前は、庶民の衣類の原料としてコウゾ、麻、フジなどが使われましたが、なかでも中心となったのは麻でした。

カラムシという植物の繊維から糸を作り(苧績み)、麻布を織り、布を縫う作業は女性のふだんの仕事でした。

正月二日に苧績みの績み始めをして、麻糸を円筒形をした麻桶やワラ製のヤスノゴキという器に入れ、年神様に供える行事や、少女がエノキの枝にかけてある麻糸を取ってきてそれでユズリハを縫うならわしもありました。

初荷・帳綴じ。

商店では正月二日に初めて店を開き、商品をにぎやかに飾って初売りを行います。

また、馬や車に商品をきれいに積み上げ、「初荷」と書いた札を立てて鈴や五色の布で飾り立て、町中を運ぶ初荷が行われます。

また、その年の商いに使う帳面を作る「帳綴じ」も、仕事始めの重要な行事でした。

四日が仕事始めとなってからは現在のように四日に繰り上がりましたが、古くはその年最初の市が立つ十一日に行われました。

上書きに「大福帳」と上書き、その左右に年月日など・を書き入れたものでした。

この上書きのことを「吉書」と言います。

大阪で「キッショを立てる」と言えば、ケジメをつける、折り目や節目をつけるということで、この吉書が語源となっています。

書初め。

年が明けて初めて書や絵を書く行事です。

書の書初めは古くは吉書・試筆・初硯等と呼ばれ正月二日にめでたい文句を書いて璧などに張る風習は貴族や武士のあいだに古くからあり、これを「吉書初め(きっしょはじめ)」と言いました。

江戸時代には若水で墨をすり、恵方(吉方)に向かって詩歌を書く習俗がありました。

書初めで書いたものは一月十四日の左義長・とんど等で注連飾り松飾りを焼くのと一緒に燃やし、その炎が高く上がれば字が上達すると信じられていました。

 
 
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