お話歳時記

ちまきと柏餅。

ちまき(粽)。

  端午の節供には、ちまきや柏餅を食べます。

  京阪地方では男の子の初節供には「ちまき」を、二年目からは柏餅を作る風習があります。 一般に関東は柏餅、関西はちまきとされ、また九州地方では、「あく巻き」と言う、ちまきに似たものが食べられるようです。

  ちまきの由来、屈原のお話です。

  紀元前三、四世紀の中国の楚の国の王族、屈原(紀元前三百四十三年一月二十一日〜紀元前二百七十八年五月五日・確定せず)は、王に仕え政治に活躍しましたが、人にねたまれて失脚してしまいました。 彼は国を憂えるすぐれた詩をたくさん書き、嘆きのあまりとうとう洞羅の川に身を投げて自殺してしまいました。

  彼の霊を慰めるために、姉(または楚の人々)は、小舟で川に行き,太鼓を打ってその音で魚をおどし、竹筒に米を入れ、汨羅の淵に投げて、屈原の死体を魚が食べないようにして祭っていました。

  六世紀頃の本「続斉諧記(ぞくせいかいき)」には、

  屈原の入水後、その死を悼んだ里人は、命日の五月五日に供養としてました。 それから三百年後、欧回(おうかい)という人がその川のほとりを通った時、屈原の霊があらわれ、「祭ってもらうのはありがたいが、淵には蛟龍(こうりゅう)が住んでおり、投げ込んだ供物を食べてしまう。厄除けに楝樹(せんだん)の葉で包み、五色の糸で巻けば蛟龍は食べないであろう。」言ったそうです。

  それから里人は教え通りに供物を作るようになった、と書かれているそうです。

  これがちまき(肉粽=ローツォン)の始まりだといわれ、また、へさきに竜の首飾りをつけた竜船が競争する行事が生まれ、今日のドラゴンレースの始まりとも言われています。

  国と人民に尽くした屈原は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、ちまき(粽)を川に投げ入れて国の安泰を祈願するお祭り・風習となり、病気や災厄を除く宮中行事、端午の節句となったと言われています。


屈原。

  屈原は「楚辞」の主要な著者とされ、「楚辞集注」で触れる事が出来ます。

◆楚辞集注

  ◆屈原については高杉晋作の漢詩「囚中作」にも触れられています。


五月の行事。

五月の行事とお祭り。

四月三十日〜五月六日 くらやみ祭 大國魂(おおくにたま)神社 東京都府中市営町
五月一日 メーデー
五月一・二日 春のどぶろく祭り(飛騨一宮水無神社例祭)飛騨一宮水無神社 岐阜県高山市一之宮町
五月二日頃 八十八夜(雑節)水口祭り
五月三日 憲法記念日(国民の祝日)
五月三・四日 博多どんたく(福岡市民の祭り博多どんたく港まつり) 福岡市 【問】福岡市民の余り振興会
四月五日頃 清明(二十四節気)
五月三〜四日 博多どんたく(福岡県) 潮干祭り(愛知県)
五月三〜五日 日立風流物(茨城県)
五月四日 国民の休日 五月忌み、女の家、ふきごもり、女の晩、女の天下(愛知県、徳島県、高知県など)
五月五日 子どもの日(国民の祝日)端午の節供(菖蒲湯、菖蒲打ち、印地打ち) 凧揚げ節供(神奈川県、静岡県など)神野山山のぼり(奈良県)
五月六日頃 立夏(二十四節気)
五月第二日曜日 母の日
五月中旬 三社祭り(東京都)
五月十四日〜十五日 神田祭り(東京都)
五月十五日 葵祭り(京都府)中旬土日をはさんだ一週問 神田祭 神田明神 東京都千代田区外神田
下鴨神社 京都市左京区下鴨泉川町 上賀茂神社 京都市北区上賀茂本山
五月二十一日頃 小満(二十四節気)
五月第三土〜日曜 浅草三社祭 浅草神社 東京都台東区浅草
五月二十五日 鶴岡化けものまつり(鶴岡天神祭)鶴岡天満宮 山形県鶴岡市神明町)
五月二十八日 曾我の曽我の傘焼まつり 城前寺神奈川県小田原市曽我谷津
五月二十八日頃 雨乞い祭り(埼玉県)